コミュニケーション「りょく」??

他人は、自分とは違う。という前提を正とすれば、

他人と自分は違うんだから何が違うかはっきりさせてから落としどころを決めようか、というのが、シンプルでわかりやすいはずだ。他人は自分とは違うということをはっきりと自覚し、当たり前のことを当たり前に見ているだけだ。

だが、

他人と自分は違うけれど同じ部分もあるはずだからそこがどこか見極めて境界を決め、その中にいる者同士ならトラブルが起きずに物事がスムーズにいくだろう、というのが日本人のスタイル。他人は自分とは違うということをわざわざ覆い隠す。ものすごく高度な精神活動だ。

そして、日本人はその境界線が見える人を「コミュニケーション力」のある人、見えない人を「コミュニケーション力」のない人、もしくは空気の読めない人、だと呼ぶ。企業は「コミュニケーション力のある人材を求めています」などと言う、ぬけぬけと。コミュニケーションにはどうしようもなく分かり合えない2者がぶつかり合う時の緊張感が伴うはず。戦争だってコミュニケーションのひとつだ。

「コミュニケーション力」は、コミュニケーションではなく、「空気が読めて他人とあまりいさかいの起こさない能力」のほうが正確だ。「コミュニケーション力」という言葉は、だから、有害だ。
[PR]
by atsusuke | 2008-12-15 00:01 | C制度編


<< 帝王学 不安を見せては成らない >>